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水戸地方裁判所 平成4年(ワ)427号 判決

原告

照山均

河田靖子

大久保貞義

永井隆

吉原美恵

榊原仁

栗田照子

鈴木幸子

山口英男

高橋千代子

小池清子

古沢清

尾上武嗣

荒瀬博史

染谷富重

人見栄子

箕輪幸一

安藤勝子

佐藤英雄

池田商事株式会社

右代表者代表取締役

池田重男

原告

伊藤守

石川茂雄

金沢順

吉田八重子

中村隆

右二五名訴訟代理人弁護士

足立勇人

秋山安夫

荒川誠司

佐藤大志

種田誠

被告

日本教育開発株式会社

右代表者代表取締役

横山周平

右訴訟代理人支配人

上杉陽光

主文

一  被告は、原告らに対し、それぞれ別表請求額欄記載の金員及び同金員に対する平成四年一〇月三〇日から支払済みまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

三  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

主文同旨

第二  事案の概要

本件は、原告らが、被告の違法な勧誘行為により、被告との間で、「教導塾」又は「KYODO学院」の名称の学習塾加盟契約を締結し、開設資金を支払わされたとして、不法行為による開設資金相当額等の損害賠償を求め、選択的に債務不履行による契約の解除、錯誤による契約の無効、詐欺による契約の取消を理由として、開設資金の原状回復(不当利得返還)を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  被告は、学習塾の経営、教育機器の製造販売等を目的とする会社である。

原告らは、後記のとおり、被告との間でそれぞれ塾加盟契約(以下「本件加盟契約」という。)を締結し、被告に対し、別表開設資金欄記載の金額を塾開設資金としてそれぞれ支払った。

2  被告が経営する学習塾は、フランチャイズシステムを採用し、「東大教育センター」、「教導塾」、「KYODO学院」等の名称を用いていた。

二  争点

1  本件加盟契約に関する被告の行為が詐欺行為として原告らに対する不法行為を構成するかどうか。

この点に関する当事者の具体的主張は、次のとおりである。

(原告らの主張)

(一) 被告会社の体質

被告の商法は、加盟塾の経営を成り立たせるに足りる意思も能力もないのに、塾加盟者を募り、巧みなセールストークにより、右の意思・能力があるかのように誤信させ、開設資金名目で金員を詐取することを目的とするものであり、このような詐欺商法を全国的に展開している。

被告は、昭和四八年に設立されたが、同六二年系列会社である株式会社ユニバーサルを設立し、英会話教室利用の会員権なるものを売り付ける手法による詐欺商法を行い、その当時社会問題化した。この商法が、同年七月に施行された「特定商品の預託等に関する法律」により封鎖された後、被告は、本件のような塾加盟契約による新たな商法を展開した。この商法は、塾経営には、もともと生徒確保が不安定であるという要素があることに着目し、「市場調査の結果、あなたが選ばれました。」、「塾を経営するには最適な場所です。」、「生徒は我社が責任をもって集めます。」、「月々一〇万四〇〇〇円の利益が上がります。」、「講師はアルバイトでなく、本部で教育をした専門の教師を派遣します。」等全国的に同様のセールストークで契約を取り付けるものの、右の点は契約書に記載することなく、問題が生じた場合には、水掛け論に持ち込んで、開設資金を詐取しようとするものである。しかも、被告は、トラブルが続出すると、塾の名称を、昭和六三年ころ「東大教育センター」、平成元年ころから「教導塾」、同三年ころからは「KYODO学院」と次々と変えていき、あたかも他の会社が行っているかのような印象を持たせて新たな加盟者を募り、被害を拡大させていった。このような被告の体質から、全国的に被告の責任を追及する訴訟が起こされている。

(二) 被告の勧誘行為の違法性

(1) 被告の担当者が行った具体的勧誘行為は、後記(四)のとおりであるが、それを要約すると、次のとおりである。

① 被告は業界大手であり、当該地区に初めて進出してきた。

② 事前調査の結果、立地条件が最高である。

③ 生徒募集、講師の指導派遣は、すべて本部が責任をもって行い、経営者は場所だけを提供すればよい。

④ 利益は、最低でも月一〇万四〇〇〇円は確実である。

⑤ この地区のモデル校としたい。近隣において同種の塾は開設しない。

このような勧誘方法は、被告が組織的に行ってきたものである。

(2) 一般にフランチャイズ契約においては、フランチャイザーは、契約の勧誘をするに際し、加盟を検討する者に対して虚偽の情報や不正確な情報を与えてはならない条理上及び法令上の義務を負う。ところが、被告は、次のとおり、原告らに対して組織的に違法な勧誘行為を行った。

① 塾経営において、入塾者の確保及び通塾者の維持は、いわば生命線というべきものである。原告らは、いずれも職業を有しているものであり、塾経営は副業程度のものであって、自ら生徒募集等を行うことが前提となっているのであれば、加盟契約の勧誘に応じなかった者ばかりである。ところが、被告の担当者は、原告らに対し、場所的に十分採算が取れると説明した上、「最低でも一二名は集める。生徒募集については、本部で責任をもって行うので、場所だけを提供してもらえばよい。」などと話し、原告らを錯誤に陥れた。

しかも、被告の担当者は、原告らにおいて、採算性を備えた塾経営の可能性が極めて低いことを熟知し、又は少なくとも容易に認識し得た。

② 被告の担当者は、原告らに対し、右生徒募集と併せ、「最低でも月一〇万四〇〇〇円の利益は上がります。」として利益を保証した。原告らは、これらの保証がなされたため、容易に被告を信頼し、生徒募集、利益確保がなされることを前提として契約に応じる意思決定をしたのである。

③ 優秀な講師とその講師による継続的指導も、塾経営にとって重要な要素となる。被告担当者は、講師についても、東京本社で面接選考した者を教育して派遣する旨話して勧誘したが、実際には、被告が説明したような研修がなされないまま、ほとんどが学生アルバイトを派遣したにすぎなかった。このような講師派遣の実態から、開校にこぎつけた塾であっても、講師派遣を巡ってトラブルが発生し、閉校に追い込まれた。

④ 被告担当者は、原告らに対し、近隣に同種の塾を競合させることはないと確約していたが、実際には、水戸地区、勝田(現ひたちなか)地区、猿島郡三和地区、鹿島郡神栖地区等多数の地区で、塾を競合して開設させた。

(三) 被告の責任

右(二)のとおり、被告は、塾加盟契約の重要な要素につき、虚偽の事実や不確実な事実をあたかも真実又は確実であるかのように申し向けて原告らを錯誤に陥れたものである。すなわち、①採算が取れるだけの生徒が確実に集まる見込みがないにもかかわらず、採算が確保されるだけの生徒を被告が集めると断言し、②これにより一定の利益が必ず確保できると保証し、③本部で研修を受けた講師を派遣できないのに、派遣すると申し向け、④近隣に同種塾を開設しない、又は実際には開設されているのに、それが開設されていないと虚偽の事実を告げるなどの勧誘行為により、原告らを誤信させ、塾加盟契約を締結させた。

右のような被告の行為は、原告らに対する不法行為を構成するものであるから、被告は、原告らに対し、民法七〇九条に基づき、原告らに生じた後記損害を賠償する責任を負う。

(四) 各原告に対する具体的欺罔行為

この点は、別紙「原告らに対する不法行為」(原告らの訴状第三の部分)記載のとおりである。

(五) 原告らの損害

被告の前記不法行為により、原告らは、別表開設資金欄記載のとおり、塾開設資金相当額の各損害を被るとともに、右各損害を回復するために弁護士に訴訟を委任し、それぞれ別表記載のとおりの弁護士費用を支払うことを約した。したがって、原告らは、被告に対し、それぞれ別表請求額欄記載の各金員の支払を求める。

(被告の主張)

(一) 原告らとの加盟契約締結に至るまでの流れ

被告の塾勧誘方法は、新聞の折込広告、電話による顧客の意識調査、塾経営者からの紹介等である。加盟希望者から申出を受けた場合、まず、被告の企画開発担当者が希望者宅を訪問し、契約内容を説明することに始まり、五回から一〇回の訪問を繰り返し、最終的には、地区の支社へ訪問してもらい、事業内容を十分に理解してもらっている。被告は、加盟希望者すべてと加盟契約を締結するわけではなく、立地条件、教室経営者としての認識度、教育観、事業意欲、塾経営を最低三年間継続可能であること等の諸要素を総合し、適性があると判断した場合に営業権を付与している。

(二) 本件加盟契約の内容

本件加盟契約の内容は、学習塾の営業権を特定の顧客へ付与すると同時に、被告が保有する学習塾の経営が可能となるノウハウを提供し、その対価として開設資金及びロイヤリティー(権利使用料)を徴収するというものである。

本件加盟契約における被告の義務は、生徒募集方法に関する被告のノウハウを塾経営者に与えること、被告自体も生徒募集を行っていくこと、開講に向けての講師派遣及び講師育成技術の助言、指導等が主たる内容である。また、塾経営者としても、加盟契約締結後は、被告との結束のもとに、塾作りの広報活動を行うとともに、相互に協力して教室運営に努力しなければならない義務を負っている。これが加盟契約の基本的合意事項であるとともに、フランチャイズ事業の基本的要素である。

(三) 被告の不法行為責任について

一般にフランチャイズ契約において、加盟希望者にとって、どのような権利義務が生じるかが重要な要素であり、資本を投下する場合には、投下資本回収の見込みと収益の見込みが、契約を締結するか否かの判断に際して重要な要因であることは否定しない。したがって、フランチャイザーは、契約の勧誘をするに際し、加盟を検討する者に対して契約の見通しについて影響を及ぼす情報を提供する信義則上の義務を負い、さらにはその意思決定を誤らせるような虚偽の情報や不正確な情報を与えてはならない信義則上の義務を負うものであるが、被告は、右義務を怠ったことはない。

加盟塾の生徒を一人でも多く集めることは、塾経営者のみならず被告にとっても重大事項である。そこで、被告は、生徒募集に重点を置き、よりよい成果を上げるために生徒募集方法や講師の指導等に関する会議を行い、改善すべき事項がある場合には、すみやかに実践に移すことを繰り返した。特に、講師研修については、生徒増員を行う上で、重要な役割を担うため、採用した講師を定期的に被告の支社及び事務局等に集め、研修を重ねるとともに、現場視察を行い、改善を要すると判断した場合には、その都度注意指導を行ってきた。

前記のとおり、本件加盟契約においては、被告と塾経営者との相互協力による塾運営が予定されているのであり、このような運営により、早期に収益を上げる経営者もいれば、ある程度経営を継続してはじめて隆盛になる経営者もいるのである。

2  被告が、本件加盟契約に基づいて発生した債務を、約定のとおりに履行したかどうか。

3  本件加盟契約が錯誤に基づく無効な契約であるかどうか。

4  本件加盟契約が詐欺に基づく取り消し得べき契約であるかどうか。

5  仮に、被告に原告らの損害を賠償する義務が生じるとした場合、その損害額を算定するに当たり、原告らにも斟酌すべき過失があったかどうか。

(被告の主張)

原告らは、本件加盟契約の内容を十分考慮して意思決定したものであり、また、契約内容について納得しないのであれば、契約締結を断るだけの思考能力及び時間的余裕があったのであるから、仮に被告に損害を賠償すべき義務が生じるとしても、原告らにも、それなりの過失がある。

第三  争点に対する判断

一  争点1の不法行為の成否について

1  認定事実

証拠及び争いのない事実及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠は採用できない。認定に供した証拠は、以下の各項において認定事実の末尾に掲げたものである。

(一) 被告の業務内容等

(1) 被告の経歴

被告は、昭和四八年に設立され、学習塾の経営、教育機器の製造販売、広告事業等を目的として活動するものである。被告の子会社である株式会社東大教育センターは、被告が教導塾を展開する以前から、「東大教育センター」の名称で、フランチャイズ方式による学習塾を展開していたところ、その勧誘方法について契約者との間でトラブルが生じていた。被告は、平成元年ころから、「教導塾」の名称で、同三年ころから、「KYODO学院」の名称で、右「東大教育センター」と同様のフランチャイズ方式による学習塾を全国的に展開した。(甲一五の2、一八、二一、証人山田茂樹)

(2) 被告の勧誘方法

被告東京支社では、企画開発部の従業員が塾経営者を募集する営業活動を行っており、新聞折込広告、電話による直接勧誘などの方法によって塾経営に関心を持った者に対し、担当者が直接面会に赴いて被告のシステム等を説明し、契約締結を勧誘した。経営者が、塾加盟契約を締結した後は、担当が企画開発部から指導部及び各事務局に移り、開校説明会等開校までの手続、生徒募集、講師派遣等の事務を行っていた。

被告の生徒募集方法は、新聞折込広告やチラシ配布、開校説明会が主である。講師は、大学生又は短大生の学生アルバイトが多く、主として各事務局で採用され、採用時に面接と簡単な適性テストを受けただけで、ほとんどの者が講師としての研修を受けずに塾に派遣されていた。(甲四各号、五各号、一六各号、証人山田茂樹(一部)、同大槻文彦(一部))

(3) 茨城県内における被告の活動状況

被告においては、東京支社が茨城県を含む関東地区を担当し、平成元年ころから、茨城県内に進出して教導塾及びKYODO学院を展開しており、茨城県内の実際の事務は日立、土浦及び鹿島の各事務局が担当していた。右各事務局では、二、三名の従業員が配置され、講師の採用、生徒募集活動、経営者・講師・生徒等の関係者との連絡などの業務を行っていた。

茨城県では、被告が加盟契約を締結した学習塾は、教導塾及びKYODO学院を併せて合計一四〇ないし一五〇校であったが、そのうち現在も塾を継続しているのは、教導塾が一四、五校、KYODO学院が六、七校にすぎない。

本件の原告らについては、別紙「契約日付順」記載のとおり、平成元年から同三年四月ころまでは、すべてが教導塾の名称で塾加盟契約が締結されていたが、それ以後は、ほとんどがKYODO学院に切り替わっている。(甲一各号、二二の1、2、証人山田茂樹、同大槻文彦)

(4) 契約書の記載内容

本件加盟契約書においては、教導塾及びKYODO学院のそれぞれについて、ほぼ共通した内容の記載となっており、主な記載内容は次のとおりである。

① 被告は、生徒募集方法、講師派遣・育成技術、事務処理方法等学習塾運営上必要なすべてのノウハウを保有する。

② 被告は、経営者に対し、その資産及びノウハウのすべてをもって助言、指導を行う。

③ 経営者は、被告の経営基本方針に基づいた同志的結束のもとに、塾作りの広報活動を行うとともに、共同体として相互協力して教室運営に務める。

④ 被告は、契約成立と同時に生徒募集のチラシ印刷に着手する義務を負うものとし、開講までに最低二回以上の新聞折込宣伝を行う。一回の折込は、二種以上の新聞折込を原則とし、その後の折込は、生徒数を考慮して被告が適時行う。その後、被告は、経営者に対して開校指導を行い、経営者は開講準備を進める。

⑤ 被告は、経営者の営業を保護するために、競合する他の教室との加盟契約を締結しない。ただし、教室繁栄のために相乗効果をもたらすと判断した場合には、適宜適切な措置をとることができる。

⑥ 経営者は、被告の承諾なく講師を雇用してはならない。

⑦ 被告と経営者は、双方一致して生徒募集及び教室運営業務に当たるものとし、経営者は、地域の生徒名簿入手及びチラシ配布等に協力する。

また、平成三年以降に作成された契約書については、「塾フランチャイズビジネスにおいては、生徒人数及び収益は決して保証されたものではない。」などの内容の「後文」が付加された。(甲一各号)

(二) 原告らに対する具体的勧誘方法及び塾開設の経緯等

(1) 原告照山均について

原告照山均(以下「原告照山」という。)は、茨城県水戸市双葉台に居住し、同市栄町において邦楽器の製造販売業を営む会社の役員であるが、平成元年五月ころ、被告から電話で空部屋、空事務所等があるかという問い合せが数回あった後、被告東京支社企画開発部の滝沢正人(以下「滝沢」という。)の訪問を受けた。滝沢は、原告照山が賃貸先を探していた同市大工町にある貸事務所を見た後、原告照山に対し、「ここは非常に有望な場所である。被告は、社歴一七年の会社で、全国に約三五〇〇校の学習塾を展開している。被告では、フランチャイズ方式で塾経営者を募集しており、今回水戸市に初めて進出するので、立地条件のよいところを探している。塾を経営してみないか。」などと勧誘した。原告照山は、被告から電話を受けたときには、被告が借りる事務所を見に来ると考えていたため、滝沢に対し、それならば被告で借り上げてほしい旨言ったものの、滝沢は、「被告では急速に塾を展開しているので権利金等を寝かせておけない。」などと答えるにとどまった。原告照山は、事前の予想と食い違っていたことや塾を経営するだけの時間的余裕もないし、経験もないことから、滝沢の勧誘を断ったが、それにもかかわらず、滝沢が熱心に説明し、是非市場調査をさせてほしい旨懇請してきたため、その申し出を承諾した。

滝沢は、数日後原告照山の店を再び訪れ、「貸事務所の場所が水戸市のメインストリートである国道五〇号線に面していて、周囲に小学校が三校、中学校が二校ほどあり、市場調査の結果は非常に有望である。生徒は、当社のノウハウで責任をもって集める。モデル校にするので、被告が総力を挙げて軌道に乗せる。経営者は、月謝を集金して講師料を支払えば、後の運営は本部が一切行う。この場所は立地が良いから、二教室は開設でき、開設資金も早期に回収できる。貸事務所であればワンフロアー月一〇万円程度の家賃だが、塾にした場合には、月二〇万円から三〇万円は間違いなく大丈夫である。」などと熱心に説明し、東京支社を見てほしいと勧めた。原告照山は、自分でも事務所の所在地は水戸市内でもよい立地条件にあると考えていたため、被告の責任者に会って事務所を借り上げてもらおうと考え、平成元年六月初旬、被告東京支社を訪れた。被告東京支社長山田茂樹(以下「山田」という。)は、原告照山に対し、新聞記事等の資料を見せながら「被告はフランチャイズが基本だから、事務所を借り上げることはできない。被告は、社歴一七年の会社で、全国に三五〇〇校の塾を展開し、現在ロイヤリティー収入が月約三億五〇〇〇万円上がってくる。あなたのところは立地条件がよいから、家賃以上の収入を上げられる。生徒は最低でも二〇名は集める。その場合の収益は一〇万四〇〇〇円である。会社が必ず軌道に乗せる。塾の運営方法や生徒募集には素人は口を出さないでほしい。一切任せてもらった方がうまくいく。被告は、同じ地区で競合する塾は開設しない。当社は徳育教育もするので、父兄の評判もよい。」などと説明した。原告照山は、山田の説明を聞き、最低でも家賃収入程度の収益を保証してもらえるのであれば、事務所を遊ばせておくよりはよいし、教育産業であり、徳育教育もやるということなので、地域にも貢献できるのではないかと考え、塾経営に乗り気になり、同年六月八日、被告との間で、「教導塾大工町校」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。

ところが、被告は新聞折込広告を入れる程度の生徒募集活動しかせず、同年七月、二回にわたり開催された開校説明会には、一人も来場者がなく、同年九月の説明会にも一人しか来場しなかった。原告照山は、被告のノウハウがこの地域に合っていないのではないかと考えたが、素人は口出しするなと言われていたこともあって、特に異議を唱えることもしなかった。原告照山は、生徒が一人しか集っていなかったが、被告から、「生徒は開校してから集める。講師料の赤字分は、被告が負担する。」との約束を取り付けたため、平成元年一二月開校した。開校後も、被告は積極的な生徒募集活動を行わなかったため、生徒はほとんど増えず、原告照山の努力で数名入塾しただけであった。また、被告が平成二年ころ、原告照山の塾から約三〇〇メートル離れた場所にKYODO栄町学院を、同三年夏ころ、約一〇〇メートルほどのところに原告永井隆(以下「原告永井」という。)のKYODO中央進学学院をそれぞれ開設したことから、原告照山は、被告に騙されたものと考えて抗議するとともに、生徒が退塾していったことから、平成四年一月で閉校した。(甲一六の1の1の1ないし3、乙五ないし一八の17、原告照山均)

(2) 原告河田靖子について

原告河田靖子(以下「原告河田」という。)は、夫河田貞之とともに、水戸市元吉田町に居住するものである。河田貞之は、水戸市千波町において建設会社を経営するものであるが、同市浜田町に所有する建物の二階部分の有効利用を考えていたところ、友人の助言もあって塾経営を考慮し始め、その紹介により、平成三年六月中旬ころ、被告東京支社企画開発部の湯之上浩(以下「湯之上」という。)の訪問を受けた。湯之上は、河田貞之に対し、被告の塾のシステムにつき、「生徒募集や講師派遣はすべて被告が責任をもって行う。素人は余計な口出しをしないほうがよい。講師は、被告の講習を受けた優秀なものばかりである。生徒が一六人の場合、月謝からロイヤリティー及び講師料を引いた一四万四〇〇〇円が実収入である。これは最低の数字である。KYODO学院はレベルが高く進学コースだが、教導塾がレベルの低い生徒を対象にしているので生徒を取り合うことはない。この地区では、この一校だけである。」などと説明した。河田貞之は、友人からの紹介でもあり、また教育産業なのだから信頼できるだろうと思い、原告河田と相談の上、同年六月二八日、被告との間で、水戸市浜田町所在の建物に「KYODO浜田学院」を開設する内容の加盟契約を締結し、開設資金として四七〇万円を支払った。右契約は河田貞之が経営する水戸市千波町所在の会社の事務所で行われたが、その際、湯之上は、右事務所の三階に空いている部屋があることに目を付け、ここでも開設したらどうかと勧めた。そこで、原告河田は、同年七月一日、被告との間で、右千波町の事務所で「KYODO千波学院」を開設する内容の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。

ところが、契約後、被告が確約していた生徒募集のチラシがまかれず、同年七月と九月に開催された開校説明会には来場者が一人もなかった。原告河田は、被告が開校説明会に派遣した係員が若年で塾の説明会にそぐわない派手な服装をしており、さらに原告河田の自宅から約五〇〇メートルの距離に別の教導塾が開設されていたことが判明するなど、被告の真意に疑問を持ち、被告に対して何回となく抗議を申し入れたが、誠意のある回答がなかったため、被告に対して解約する旨の内容証明郵便を送付し、結局開校しないままで終わった。(甲三の1の1、一六の2の1ないし4、乙五二ないし六〇、六九ないし七五、証人河田貞之)

(3) 原告大久保貞義について

原告大久保貞義(以下「原告大久保」という。)は、大学教授であるとともに、水戸市見和一丁目において大久保工務店を経営するものであるが、平成三年八月ころ、被告から電話による勧誘を受けた後、被告東京支社企画開発部の担当者である庄子千秋(以下「庄子」という。)の訪問を受けた。原告大久保は、庄子から、原告大久保が空部屋を所有している水戸市見和一丁目付近には小、中学校はあるのに塾がなく、塾経営には最適の場所である旨の説明を受けたが、前記の職業に就いているため多忙で塾経営の細かい仕事はできないと話した。これに対し庄子は、「経営者は、月謝を集め、その中からロイヤリティを支払うだけでよい。生徒募集、講師教育、派遣等の細かい仕事は一切被告がする。」と約束した上、収益については、「時間割と利益分配」と題する書面(甲三の8)を示し、「採算可能な生徒を集めるのに約三か月かかるが、その後はこの表に掲げてあるとおりの収入が見込める。四七〇万円の開設資金は、二年間で回収できる。」と具体的に説明したため、原告大久保もその説明を信頼するようになった。原告大久保は、被告がしっかりした会社かどうかを自分の目で確かめる必要があると考え、被告東京支社を訪問したところ、東京支社長の山田から庄子と同様の説明を受けたため、事業として収益が上がると考え、平成三年八月二四日、被告との間で「KYODO大久保学院」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として四七〇万円を支払った。

ところが、生徒募集のチラシがまかれたという報告もなく、数回にわたって開かれた開校説明会には、一人の来場者もなかった。原告大久保は、開校説明会に来た被告の担当者が右説明会の位置付けにつき何ら理解がなく、その後においても、生徒募集に対する善処方を求めたが、誠意が見られなかったことから、開校しないままで現在に至った。(甲三の8、一六の3、乙六一ないし六八、原告大久保貞義)

(4) 原告永井隆について

原告永井は、水戸市大工町において、緑茶販売業及び損保代理店を経営しているものであるが、同所に所有するビルの二階部分をテナントとして貸す予定にしていたところ、平成三年七月上旬、被告から勧誘の電話があり、さらに同月中旬、庄子の訪問を受けた。原告永井は、庄子から、「時間割と利益分配」と題する書面を示され、「学習塾をやりませんか。月四、五〇万円の利益になる。水戸市内では五か所しか作らないが、既に二か所は決まっている。」などと説明を受けたが、当初はあくまでテナントとして貸すつもりで、庄子に対してもその旨伝えた。ところが、原告永井は、なかなか借り手が見つからず、また、再び庄子の訪問を受け、「KYODO学院は、生徒募集、講師派遣等はすべて被告が行う。オーナーは、場所と資金さえ提供してくれればよい。この地区は有望だから、早ければ一年で開設資金四七〇万円を回収できる。一度東京支社を見てくれ。」と言われたため、同年七月下旬、東京支社を訪問した。東京支社において山田は、「あなたの地区は、立地条件がよく、募集広告をすれば簡単に生徒は集る。生徒募集、講師派遣など塾経営はすべて被告が行うので、場所と資金さえ提供してくれればよい。教導塾は、生徒募集を経営者に任せたので失敗したが、KYODO学院は、被告のノウハウに基づいてやるので大丈夫である。むしろ、素人は口をださない方がよい。講師は、被告において一週間研修をした優秀な講師を、被告が責任をもって派遣する。被告は、全国でも何番目かの企業だ。」等説明したので、原告永井は、その説明を信用し、同年七月二六日、被告との間で、「KYODO中央進学学院」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として四七〇万円を支払った。

ところが、平成三年九月一日の開校予定日が、被告の都合及び生徒が集らないという理由で二回延期され、一〇月下旬となったが、そのころ、約一キロメートルしか離れていない場所にKYODO学院が開校するとの広告が配られたため、原告永井は、東京支社へ問い合せをしたところ、同じ名前の塾があった方が互いに伸びるからいいだろうという説明を受けるにとどまった。原告永井は、同年一〇月下旬の開校日になっても、生徒が一人も入校せず、教材の送付もなく、講師派遣もなく、さらに自宅から約一〇〇メートルしか離れていない場所に原告照山の塾が存在することを知ったため、被告に対し、同年一一月一八日解約要望書(甲一六の4の2)を送付するなどして交渉したところ、被告から合意和解書(甲一六の4の3)が送られてきたが、原告照山から和解をしても金が送られてこない例もある旨言われたため、未開校のまま、本件訴訟を提起した。(甲一の4、三の2、四の2、六の2、一六の4の1ないし3、乙七六ないし八八の2、原告永井隆)

(5) 原告吉原美恵について

原告吉原美恵(以下「原告吉原」という。)は、平成三年ころ、水戸市青柳町に居住し、夫が経営する会社の手伝いをしていたが、将来同市河和田町に建物を新築し、転居することを予定していた。原告吉原は、そのころ、被告から電話で勧誘を受けるとともに、湯之上の訪問を受け、河和田町の建物を利用して塾経営をしないかと言われたが、自分が何らかの事業を行うつもりはない旨伝えた。これに対し、湯之上は、「開設資金四七〇万円とロイヤリティーを支払えば、何もしないで利益がでる。全国三〇〇〇校のうち、失敗例はない。河和田は、近くに小、中学校があるので有望である。生徒は、最低でも一六名は集める。小中学校で八名ずつ集めた場合には、月一四万四〇〇〇円の実収入になる。」と、「時間割と利益分配」と題する書面(甲三の3の1)を示して説明した。原告吉原は、湯之上の説明や、湯之上から紹介された岩井市の塾を見たりして、次第に湯之上の説明を信用するようになった。原告吉原は、湯之上に対し、近隣で見つけた教導塾のことを問い質すと、湯之上が「被告とはまったく関係がない。教育産業は安定しており、地元の協力を得て行いたい。一週間のうちに契約金を支払わないと、赤塚の方で先に開校されてしまう。」等説明したので、平成三年五月三一日、被告との間で、「KYODO赤塚学院」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として四七〇万円を支払った。

ところが、被告から送付されてきた文書(甲一六の5の2)に教導塾の文字が入っており、湯之上の説明と食い違っていたため、原告吉原は、被告に対し、契約違反なので解除したい旨申し入れたが、拒否的態度で、明確な回答が得られなかった。また、被告が行うはずの開校準備が、事前の説明とまったく異なっており、生徒は一人も集らず、原告吉原の夫が水戸市内で見つけてきた被告の塾経営者五名についても、経営が順調にいっているところは一校もなかったことから、原告吉原は、開校を断念した。(甲三の3の1、2、一六の5の1及び2、乙八九ないし九七、原告吉原美恵)

(6) 原告榊原仁について

原告榊原仁(以下「原告榊原」という。)は、有限会社飛勘の店長をしているものであるが、平成元年三月ころ、高収益が見込まれるとする被告の塾経営の新聞折込広告を見て、勝田市(現ひたちなか市)所在の知人の八百屋の空部屋を貸せば、収益が上がるかもしれないと思い、被告に電話をかけた。原告榊原は、約一週間後、滝沢の訪問を受け、「この場所は立地条件がよい。生徒集めは、当社のノウハウがあるから大丈夫である。周囲に塾があっても、生徒は教導塾の方に集ってくる。生徒は、会社で最低でも二〇人を集めるから、月々の利益は最低一〇万円以上になる。」などと「時間割と利益分配」と題する書面を示しながら説明した。原告榊原は、「部屋を貸すから教導塾で借り上げてくれ。」と言ったが、滝沢から会社の方針ではないとして断られたものの、同原告が八百屋の部屋を借り、家賃を月一〇万円支払っても、利益が残るという滝沢の説明を信頼し、同年三月二七日、被告との間で、塾加盟契約を締結し、開設資金として三五〇万円を支払った。

ところが、チラシもまかれず、同年四月に行われた開校説明会にも二、三名の生徒しか集らず、同月中旬には、原告榊原が開設しようとする場所から一キロメートルも離れていない場所(勝田市(現ひたちなか市)市毛)に教導塾が開設される旨の新聞折込広告がまかれるなどしたため、原告榊原は不審に思い、被告の本社へ苦情の電話を入れるなどした。被告の担当者が、「開校すれば人は集る。欠損は会社で負担する。」などと言ったため、原告榊原は、同年八月下旬、自分の娘二名を含む生徒四名で開校した。原告榊原は、平成四年二月まで塾を続けたが、その間、自分の娘以外の生徒は、一、二名にすぎなかったため、塾のために借りた部屋の家賃を払うどころか、講師料にも足りず、毎月赤字を累積する結果となった。しかも、被告が派遣した講師は、開講時刻にも遅れ、授業内容も劣悪であったため、原告榊原自身が講師をせざるを得ない事態も生じたりしたことから、原告榊原は、平成四年二月ころ、被告から更新料の支払いを請求されたのをきっかけとして閉校した。(甲五の1、一六の6、乙九八ないし一一七の6、原告榊原仁)

(7) 原告栗田照子について

原告栗田照子(以下「原告栗田」という。)は、日立市鮎川町の自宅に隣接した店舗で喫茶店を経営していたものであるが、平成三年四月ころ、喫茶店を閉店しようと考えていた矢先に被告の塾経営者募集の新聞広告を見て興味を持ち、被告に電話を入れた。原告栗田は、その翌日に湯之上の訪問を受け、湯之上から「被告は学習塾を全国展開している実績のある会社で、今回日立市内に開校するために調査中である。生徒募集から講師の派遣まで被告が責任を持って行うので、経営者は、場所を提供するだけで、あとは月謝の集金、講師料・ロイヤリティの支払等の簡単な事務をすればよい。講師は、被告で研修した優秀な人材を派遣する。開設資金三七〇万円も半年ないし一年で回収できる。日立では、初めての教導塾なので責任を持って生徒を集める。会社には実績とノウハウがあるので心配はいらない。」との説明を受けた。また湯之上は、「経営者としてふさわしいかどうか近所の評判等二〇項目について調査するので一週間待ってほしい。」と言った後、一週間後に再び原告栗田宅を訪れ、調査の結果合格した旨伝えた。そのため、原告栗田は、湯之上の説明をすっかり信用し、同年五月二五日、被告との間で、「教導塾」を開設する内容の加盟契約を締結し、開設資金三七〇万円を銀行から借り入れて支払った。

ところが、同年六月の開校説明会には、三名しか集らず、開校時にも小学生二人、中学生一人の合計三名で開始せざるを得ない状況であった。原告栗田の塾へ派遣された講師は、簡単な面接だけで採用された学生アルバイトであり、被告において特に研修を受けたこともない者であった。このような状況の中、平成三年の秋ころは八名まで生徒が増加したものの、その後は減少する一方であり、収支も赤字が累積したため、原告栗田は、同四年三月末で閉校した。(甲三の4の1、2、五の2、一六の7、乙一一八ないし一三一、原告栗田照子)

(8) 原告鈴木幸子について

原告鈴木幸子(以下「原告鈴木」という。)は、住所地から約一八キロメートル離れている茨城県新治郡玉里村上玉里において、珠算塾を経営していたものであるが、平成元年八月ころ、被告の新聞広告を見て興味を持ち、被告東京支社へ電話をかけた。原告鈴木は、その数日後、被告担当者である大橋紀幸(以下「大橋」という。)の訪問を受け、「この地区の市場調査によれば、あなたの珠算塾は立地条件がよく、生徒は五、六〇名は集る。生徒募集、講師派遣は被告が責任をもって行う。講師は、被告の研修を受けた優秀な人で、この地区では、茨城大学に通っている講師を何人か登録してある。経営者は、場所を提供するだけで、あとは月謝の集金、講師料・ロイヤリティの支払等の簡単な事務をすればよく、あとは被告に任せてもらえばよい。塾経営は、被告のノウハウに基づいて行うので、素人は手だしをしないほうがよい。開設資金三七〇万円も半年ないし一年半で回収できる。」などと説明した。原告鈴木は、生徒募集や講師派遣を被告が責任をもって行ってくれるという説明を信用し、珠算塾に利用している教室を学習塾にも利用できれば経済的であると考え、平成元年八月二八日、被告との間で、「教導塾玉里校」を開設する内容の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。その際、大橋は、「契約書に書いてある内容は今までの説明と同じである。大金を持っているから、急いで東京に帰らなければならない。」などと言い、契約書の内容を説明することもなかった。

被告は、契約時から同年九月末の開校説明会まで、チラシを配布する程度の生徒募集活動しかせず、開校説明会には、数名が集っただけで、入塾する者はいなかった。そのため、原告鈴木は、珠算塾の生徒に呼びかけ、五名の生徒が集ったため、同年一一月に開校した。ところが、被告が派遣した講師は、茨城大学の学生ではなく、高校卒や専門学校卒の者が多く、簡単な面接だけを受けて派遣されたものであって、そのため生徒の父兄からは、講師の質が悪いとの苦情が出た。また、被告から理数系の講師がいないと言われたため、原告鈴木の夫である鈴木玉郎が講師を務めたこともあった。このような状況の中で、生徒数は、もっとも多い時期で十数名集ったが、次第に減少してしまい、原告鈴木は、平成四年三月末日で閉校した。(甲一六の8、乙一三二ないし一四六の2、証人鈴木玉郎)

(9) 原告山口英男について

原告山口英男(以下「原告山口」という。)は、茨城県土浦市に居住する会社員であるが、平成元年七月ころ、土浦市神立の二〇〇坪の土地に新居を建築する予定であり、その敷地が広いので他に別の建物を建てて土地を活用したいと考えていたところ、被告の新聞広告が目に止まり、その広告に記載された寺小屋方式と収益に関心を持ち、被告へ電話をかけた。担当者である滝沢は、数日後、原告山口宅を訪問し、「生徒募集については、被告が責任を持って行う。ここは場所的に良いところなので絶対に利益は上がる。二部屋(一四名)はすぐに集るから、さらに一部屋作ったほうがよい。」と強調した。原告山口は、開校予定地の近隣に既に塾が五、六校開設されていることが不安になり、その旨滝沢に伝えたのに対し、滝沢から「逆に相乗効果があって良い。人口的には生徒は集る。」と説明を受けたが、生徒が集るか不安であり、態度を保留した。滝沢は、数日後に再び原告山口宅を訪問し、「利益は確実に上がる。生徒募集は会社が責任をもって行う。すべてこちらでやるので任せてほしい。回りから口を出さないほうがうまくいく。被告の全国三〇〇〇校の塾はすべてうまくいっている。」などと説明した。原告は、滝沢の話を聞いてなんとかやっていけそうだという気持ちになり、また、滝沢から勧められた東京支社の見学で、事務室が非常に活気があったことなどから、被告が生徒募集と収益の保証してくれるという説明を信頼し、平成元年九月一日、被告との間で、「教導塾神立校」を開校する内容の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。また、原告山口は、二部屋はすぐに満杯になるという滝沢の説明に従い、銀行から約一〇〇〇万円を借り入れて塾専用の建物(一二畳三室)を新築した。

平成元年一一月末ころに開催した開校説明会では、二名の生徒しか集らず、被告がチラシを一回まく程度の生徒募集活動しかしなかったため、原告山口は、自ら近隣の知人等に声を掛けて二一名の生徒を集め、同年一二月四日に開校した。開校後も、被告が行った生徒募集活動は、新聞の折込広告を数回入れたり、ビラ配りを二回行った程度であった。講師は、入れ替わりが激しく、無断欠勤や遅刻が多いだけでなく、被告において研修を受けていない者ばかりであった。また、開校後、約半年ほど経過したとき、原告山口の塾から約四〇〇メートル離れたところに、「教導塾下稲吉校」が開設されるという内容の新聞折込広告が入っていたため、原告山口は、被告に抗議を申し入れたが、結局同校は開校してしまった。このような状況の中、塾の生徒が次第に減少していったため、原告山口は、被告に対し、再三生徒募集に協力してほしい旨申し入れたが、被告は契約書通りの対応はしているとの返事をするのみで、それ以上の募集活動は行わなかった。平成四年二月ころには、原告山口の長男を入れて生徒が三名にまで減少したため、原告山口は、これ以上塾経営を継続するのは無理であると判断し、同月末をもって閉校した。(甲三の5、六の4、一六の9、乙一四七ないし一六五の3(一部)、原告山口英男)

(10) 原告高橋千代子について

原告高橋千代子(以下「原告高橋」という。)は、茨城県下妻市においてコンビニエンスストアーを経営するものであるが、平成元年五月ころ、被告東京支社企画開発部の勝見弘二(以下「勝見」という。)の訪問を受け、「空いている部屋はないか。塾を始めないか。」などと勧誘された。原告高橋は、本業が忙しかったため、話を聞くにとどまっていたが、勝見が数回にわたって訪問してきたので、詳しい説明を聞くようになった。勝見は、「ここは立地条件が良く、しかもコンビニエンスストアーなので来客が多く、生徒を募集しやすい。下妻では、初めての教導塾である。生徒は会社が集めるので、素人はかえって手だしをしないほうがよい。利益は月約二〇万円になる。」などと、「時間割と利益分配」と題する書面を示しながら説明した。原告高橋は、夫とともに東京支社を訪れ、山田から勝見と同様の説明を受けた後、本業が忙しいものの、生徒募集を始めとして塾の運営を被告が行ってくれれば心配がなく、利益が確実であること、教育関係の事業であることなどから乗り気になり、同年六月一六日、コンビニエンスストアーの二階六畳間において「教導塾下妻東部校」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。

被告が行った生徒募集活動は、新聞に折込広告を入れる程度のものであり、同年七月に開催された開校説明会には、五名しか集らなかった。原告高橋は、被告から、開校すれば必ず人は集ってくる旨言われたことと、開校説明会に来てくれた生徒が本業の得意先に声を掛けて集ってもらったという経緯があったため、開校せざるを得ず、同年八月、小学生二名、中学生五名の生徒で開校した。ところが、開校後に被告が行った生徒募集活動は新聞に折込広告を数回入れる程度にすぎず、生徒数はなかなか増加しなかった。それどころか、生徒が集らないことから、被告が小中学生を一つの教室で同じ時間に教えるというやり方(複式学級)を採ったため、保護者からも苦情が多く、次第に生徒は減少していった。また、原告高橋は、苦情の多い複式学級を、自らの考えで学年毎の教室に変えたため、講師料の支払が増大し、収支が赤字の月が多くなっていった。原告高橋は、右のような状況が開校後半年もたたないうちに現われたため、被告に対し、再三にわたって改善を申し入れたが、被告が特段の対応をすることもなかったこともあり、平成三年には、生徒がいなくなり、閉校した。(甲一六の10、乙一六六の1ないし一七八、原告高橋千代子)

(11) 原告小池清子について

原告小池清子(以下「原告小池」という。)は、茨城県古河市において会社員として勤務するものであるが、平成元年五月ころ、被告から、学習塾に場所を提供してもらえないかとする電話の勧誘を受けた。原告小池は、以前経営していた店舗を閉店後使用していなかったため、これを賃貸して賃料収入があれば好都合であると思い、関心を持った。原告小池は、数日後、湯之上の訪問を受け、「被告は、教導塾という学習塾を全国的に展開している大手であり、古河市周辺に初めて開塾したい。生徒募集から講師派遣まで一切被告が行う。経営者は、むしろ口を出さない方がよい。ここは小中学校から近く、絶好の立地条件にある。生徒は、二〇から三〇名は絶対に集める。仮に二〇名の生徒であっても収益は上がる。最低でも月二〇万円の収入になる。絶対に損はしない。」などと、「時間割と利益分配」と題する書面等の資料(甲三の6の1ないし4)を示されながら説明を受けた。原告小池は、当初の電話とは異なり、被告に場所を提供するのではなく、自ら経営するという話であったため、それまで塾経営の経験もなかったことから、態度を保留した。原告小池は、数回にわたり湯之上から説明を受け、さらに東京支社へ赴いて山田から成功している実例を説明されたため、すっかり信用し、平成元年七月一七日、被告との間で、「教導塾古河中田校」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として二七〇万円を支払った。

同年八月末に開催された開校説明会には、数名しか集らず、同年一〇月の開校時には、七名の生徒で開始した。ところが、被告が派遣する講師が次々と入れ替わるだけでなく、研修を受けたこともないアルバイトが多く、保護者からも苦情が多かったため、一時は一〇名を超えていた生徒も次第に減少し、平成三年ころには三名にまでなってしまったため、原告小池は、同四年二月閉校した。(甲三の6の1ないし4、一六の11、乙一七九の1ないし一九五、原告小池清子)

(12) 原告古沢清について

原告古沢清(以下「原告古沢」という。)は、茨城県結城市において、妻古沢トミ子とともに、結城紬の織物業を営むものである。原告古沢は、平成三年一一月及び同年一二月の二回にわたり被告から学習塾を開設しないかという勧誘の電話を受け、同四年一月ころ、湯之上の訪問を受けた。湯之上は、古沢トミ子に対し、「うちの会社には一九年のキャリアがある。これからは塾経営が有利だ。この地域には市場調査をやっており、必ず生徒は集る。被告の講師は、本部の試験を通った人に研修を受けさせて派遣するもので、特に優秀であり、地域にも貢献できる。生徒募集は被告が責任を持って行う。被告としても、経営者の利益が月二〇万円以上なければ、やっていけないので、見込みのないところには絶対に作らない。」などと話し、「時間割と利益分配」と題する書面を示しながら、収益関係を説明した。原告古沢は、家族を交えて検討した結果、塾経営はしないことに決めたので、再び訪れた湯之上に対し、その旨を伝えたところ、湯之上が、「この地区では、他にいくつも候補地があったのに、お宅が一番よいということで、会社の審査に通った。だから考え直してほしい。支社長も時間を割いて待っているので、是非東京支社に行って説明を聞いてほしい。」などと執拗に説得に出たため、原告古沢は、既に開校している塾を見せてほしいと依頼した。湯之上は、これに対し、「茨城県にはこれから塾を作るのでまだない。」として千葉県印旛郡富里町にある富里校を紹介した。原告古沢が、右富里校とされる場所に電話をかけたところ、出てきた女性が、「現在八三名の生徒がおり、会社の協力もよく、儲かっている。」などと話したため、次第に塾の経営も悪くはないのではないかと考え始めた。原告古沢は、平成四年一月、被告東京支社を訪れ、山田から、「あなたの地区は、十分に市場調査をしてあり、立地条件がよく、生徒はいくらでも集る。生徒については、被告が責任をもって集めるので、経営者は、場所を提供し、開設資金を準備するだけで、あとは被告に任せておけばよい。会社にはノウハウがあるので、経営者は塾のやり方には口を出さないで、プロに任せておけばよい。」などと資料を示されながら説明を受けたので、すっかりその話を信用し、同月二八日、被告との間で、「教導塾四ッ京校」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。

原告古沢は、その後、塾経営を担当するという被告土浦事務局の担当者から、「ポスターを貼ってくれ。生徒の名簿を集めてくれ。」等言われたため、事前の説明とまったく違うと憤慨し、同事務局に対し、何度も苦情の電話を入れた。被告は、平成四年二月下旬、二回ほど新聞に折込広告を入れて生徒募集活動を行ったが、同月二六日に開催された開校説明会には、五名ほどの来場者しかなく、開校が困難な状況にあった。原告古沢は、たまたま茨城県猿島郡三和町諸川において、原告人見栄子(以下「原告人見」という。)が開設した教導塾の存在を知り、同人から「平成元年六月ころから塾経営をしているが、生徒はほとんど集らず、講師の質も悪い。」などの話を聞いたため、湯之上や山田の話とは全然違うと驚き、被告に騙されたものと考え、同月二七日、被告に対し、塾を開校しない旨の内容証明郵便を送付した。(甲三の7の1及び2、一六の12、乙一九六ないし二〇一、証人古沢トミ子)

(13) 原告尾上武嗣について

原告尾上武嗣(以下「原告尾上」という。)は、茨城県西茨城郡友部町において会社員として勤務するものであるが、平成二年ころ、同人が所有する水戸市河和田町所在の土地において、同土地上にアパートを新築し、その一室を学習塾として使用することを検討していた。原告尾上は、学習塾を経営する六業者程の資料を取り寄せて検討していたが、同年二月ころ、被告の従業員である前田精一郎(以下「前田」という。)の訪問を受けた。前田は、「経営者は、授業料を集金する程度で、あとは被告がすべて行う。平均半年から一年で投下資本が回収できる。」などと資料を示しながら、被告の塾経営システムについて説明した。前田が、二度目に原告尾上宅を訪問した際、「開校予定地は、場所的に良いところなので、収入は大丈夫だ。ただ、赤塚駅の裏にも開校希望者がおり、どちらがよいかは本部で検討する。是非東京支社へ見学に来てほしい。」と言ったため、原告尾上は、同年三月ころ、被告東京支社を訪問した。原告尾上は、山田から前田と同様の説明を受けるとともに、前田から、「尾上さんの塾をモデル校にする。生徒募集は、電話やダイレクトメール、あるいは営業担当者が各家庭を訪問して行う。講師は、研修を受けた者で、責任をもって生徒を指導する。」などの説明を受け、東京支社が立派な建物であり、事務所も活気があることから、被告に対して好印象を抱いた。原告尾上は、他にも勧誘されている塾経営会社があったものの、妻と共働きであり、自宅と開校予定地が離れている事情があることから、被告が責任をもって生徒募集や講師派遣を行ってくれるという点に魅力を感じ、妻とも相談の上、平成二年三月一一日、被告との間で、「教導塾赤塚校」を開設する内容の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。

原告尾上は、アパートの一室を塾用に設計し、同年秋ころから建物の新築を開始し、被告に対して同三年二月ころに完成する旨伝えた。ところが、被告は、同月一六日に開催された開校説明会の前日に新聞折込広告を入れただけで、他には特に生徒募集活動をせず、説明会には、六名の来場者しかなかった。原告尾上は、入塾希望の生徒が少ないと思ったものの、集った生徒で始めるしかないと考え、同年三月、八名の生徒で開校した。生徒は、原告尾上が知人等に声をかけた関係で、一時は一一名まで増えたが、派遣されてきた講師が、無断欠勤や遅刻を繰り返し、講義内容についても生徒や保護者から質が悪いとの苦情が寄せられたため、次第に生徒が減少していった。原告尾上は、被告に対して、再三にわたり、生徒募集をしてほしい、講師を変えてほしい旨申し入れていたが、ほとんど取り合ってもらえず、生徒が、同年暮には二名になり、同四年二月ころには、生徒がいなくなってしまったため、そのまま閉校せざるを得なくなった。(甲一六の13、乙二〇二ないし二一三の4(一部)、原告尾上武嗣)

(14) 原告荒瀬博史について

原告荒瀬博史(以下「原告荒瀬」という。)は、茨城県猿島郡三和町において、自営業を営むものであるが、平成元年六月ころ、被告から塾経営に関する勧誘の電話が入り、数日後、被告の担当者である勝見の訪問を受けた。勝見は、「この場所は、小学校が近く、調査の結果有望である。講師の教育は本部でやり、レベルは高い。生徒は、被告が責任を持って集める。最低二〇名は集められるから、月一〇万四〇〇〇円の利益が確実に見込める。生徒募集は、専門家である我々に任せてほしい。経営者はお金の管理だけやってもらえば、あとはすべて会社でやる。」などと「時間割と利益分配」と題する書面等の資料(甲三の9の1、一〇の2)を示して説明した。原告荒瀬は、勝見の話を信用し、月一〇万四〇〇〇円の利益が上がれば、開設資金もすぐに回収できるし、部屋を遊ばせておくよりはよい、塾ならば教育に携わることになるので、他の商売のために貸すよりはよいと考え、平成元年六月二六日、被告との間で、「教導塾東山田校」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。

平成元年七月二五日の開校説明会には、数名の来場者しかなかったが、原告荒瀬は、被告から開校すれば生徒は集ってくる旨言われたため、同年九月一日四名の生徒で開校した。ところが、被告が新聞折込広告を一回入れただけであり、積極的な生徒募集活動を行なわず、また事前の話と異なり講師の質が悪いことから、原告荒瀬は、三和町で教導塾を開設している原告中村隆(以下「原告中村」という。)及び原告人見とともに、被告に対して抗議したが、結局何ら誠意のある回答がなかった。原告荒瀬は、生徒が一番多いときで、十数名になったものの、講師の質が改善されなかったこともあり、平成四年二月で閉校した。(甲三の9の1及び2、一〇の2、乙二三一ないし二四六、原告荒瀬博史)

(15) 原告染谷富重について

原告染谷富重(以下「原告染谷」という。)は、茨城県猿島郡三和町において、自営業を営むものであるが、平成三年八月ころ、被告から学習塾開設の勧誘の電話がかかり、同月末ころ、滝沢の訪問を受けた。滝沢は、「被告は社歴一七年の会社で、全国に三〇〇〇校のKYODO学院を開設している。この付近は、小中学校が多く、学習塾を開設するには絶好である。染谷さんの店は老舗であるし、信用もある。副業として高いメリットがある。生徒募集から講師の派遣まで被告が持つノウハウにより、被告が全部責任を持って行うので、素人でも安心して経営できる。経営者は一切手を出さなくてよい。契約金は一年ないし一年半で確実に回収できる。」などと「時間割と利益分配」と題する書面(甲一六の15の9)を示しながら説明した。原告染谷は、塾経営など考えたこともなかったので、部屋を貸すから被告で経営してほしいと申し向けたところ、滝沢が、「それでは儲からない。最低でも月二〇万円は保証する。絶対に心配はない。東京支社に来て会社を見てほしい。」と勧めたので、同年九月、被告東京支社を訪れた。原告染谷は、山田から滝沢と同様の説明を受けてすっかり信用し、同月一三日、被告との間で、「KYODO諸川学院」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として四七〇万円を支払った。

原告染谷は、その後、自宅から約八〇〇メートル離れた場所で、友人の原告人見が教導塾を開設し、近くに原告荒瀬などの教導塾が存在することを知った。原告染谷は、同人見から、被告は生徒募集などを真面目に行わず、塾経営などできない旨聞かされたため、被告に騙されたと考え、開校説明会の数日前に契約を白紙にしたい旨の文書を送付した。(甲一六の15の1ないし9、乙二一四、二一五、原告染谷富重)

(16) 原告人見栄子について

原告人見は、茨城県猿島郡三和町諸川においてコンビニエンスストアーを経営するものであるが、平成元年五月ころ、被告から学習塾を開設しないかとの勧誘の電話がかかり、数日後、担当者である湯之上の訪問を受けた。湯之上は、「ここはコンビニエンスストアーで人集めには最適であり、近くに小中学校もあるので、七二名ぐらいすぐ集る。生徒募集や講師派遣は被告が責任をもって行う。講師は筑波大の学生を派遣する。オーナーが手だしをするとかえってまずくなるので、月謝の集金等をするだけで、あとの経営は本部に任せておけばよい。」などと「時間割と利益分配」と題する書面を示しながら説明した。湯之上は、その後、原告人見を経営が順調であるとする教導塾七重校(岩井市)と教導塾荒川沖校に案内して、「生徒募集や講師派遣は会社が全部やるので、オーナーは何もしなくても利益が上がる。被告にはノウハウがあるので、塾経営は任せてもらえばよい。オーナーはかえって経営にはタッチしない方がよい。月収三〇万円から四〇万円にはなる。諸川地区には、他にも二、三軒教導塾をやりたいと言う人があるが、あなたのところが一番立地条件がよい。早く契約した方がよい。」などと勧めた。原告人見は、湯之上の説明を信用し、塾を開設してもよいとの気持ちになり、コンビニエンスストアーの二階を教室用に改修できると判断し、平成元年六月二九日、被告との間で、「教導塾三和諸川校」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。

同年七月に開催した開校説明会には、一、二名の来場者しかなかったため、原告人見は、夫の会社関係の知合に依頼したりし、同年八月生徒五名で開校した。原告人見は、友人知人等を頼りに生徒を集め、多いときで一二名程度になったが、被告が派遣した講師が、専門学校の学生などで質が悪かったため、生徒は次第に減少し、塾経営が成り立たなくなったことから、平成四年二月に閉校した。(甲一六の16、乙二一六の1ないし二三〇、原告人見栄子)

(17) 原告箕輪幸一について

原告箕輪幸一(以下「原告箕輪」という。)は、茨城県鹿島郡鹿島町においてコンビニエンスストアーを経営するものであるが、同町所在の建物を所有しており、不動産業者を通じてテナントを募集していたところ、湯之上の訪問を受けた。湯之上は、「被告は、塾経営の専門家なので、経営のノウハウは十分持っている。経営者のやることは、授業料の徴収と講師料の支払程度である。生徒が教室一杯(五四名)になれば、月五一万円の収入になる。被告では、本部から近隣の家へ電話で勧誘したり、戸別訪問をしたり、チラシを配布する。この近くには、小中学校があり、大きな団地もあるので、生徒は簡単に集めることができる。」などと「時間割と利益分配」と題する書面等の資料(甲三の10の1及び2)を示しながら説明した。原告箕輪は、建物を有効に利用したいが、本業で手が離せないので手間の掛からない活用をしたいという意向に合致することから、契約金四七〇万円は少し高いとは思ったものの、湯之上の説明が本当であれば、契約をしてもよいと思い始めた。湯之上は、再び原告箕輪の店舗を訪問した際、「鹿島町では一件しか契約できない。あなたが契約しないのなら、次に待っている人がいるので、その人に優先されてしまう。」と言い、また、原告箕輪の店舗付近に開設されていた教導塾について、「漢字で書く教導塾と被告のKYODO学院とはまったく別のものである。」などと説明した。原告箕輪は、平成三年一〇月ころ、湯之上に誘われて東京支社を訪問し、山田から「塾経営について、経営者は特にやることはない。高額な契約金を支払う以上、生徒募集についても、被告に任せていれば安心だ。」との説明を受け、東京支社の入居しているビルが立派なこともあって、その説明を信用した。そこで、原告箕輪は、同年一〇月二二日、被告との間で「KYODO宮津台学院」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として四七〇万円を支払った。

原告箕輪は、被告の担当者から同年一一月に開かれた開校説明会には三名の来場者しかなかったと聞かされて驚き、改めて生徒募集の措置を採るように要請したが、被告は特に生徒募集対策を採った様子もなく、被告東京支社や鹿島事務局に問い合せても、担当者が不在であるなどの返事が返ってくるのみであった。被告は、平成四年五月に至って、再度開校説明会を開いたが、来場者は一人もなかった。原告箕輪は、この様な事態に直面して被告が本当に生徒募集活動を行っているのか疑問を抱き、新聞販売店に問い合せたが、実際に折込広告を入れたか疑わしいとの返事をもらったので、被告に対する不審感を強めた。原告箕輪は、被告鹿島事務局に対し、折込広告の詳細を尋ねたが、質問にまともに答えなかったため、被告に騙されたに違いないと思い、被告に対し、契約金返還を求める内容証明郵便を送付し、結局塾は未開校のままであった。(甲三の10の1及び2、一〇の3、一六の17、乙三五ないし四〇の2、原告箕輪幸一)

(18) 原告安藤勝子について

原告安藤勝子(以下「原告安藤」という。)は、茨城県鹿島郡大野村に居住し、同郡鹿島町内の病院に看護婦として勤務するものであるが、平成元年九月ころ、湯之上の訪問を受けた。湯之上は、「被告が責任をもって生徒を募集し、講師は会社で十分に教育したものを派遣する。経営者は、月謝を集め、講師料・ロイヤリティーを支払うだけでよい。」と説明した。原告安藤が、近くの小中学校から離れていて生徒が集らないのではないかと言ったところ、湯之上は、「新興住宅地なので生徒はむしろ集る。被告では、戸別訪問などで責任をもって生徒を募集するのですぐに軌道に乗る。収入は最低でも月二〇万円程度にはなるし、順調に行けば月七二万円の売上になる。」などと「時間割と利益分配」と題する書面等の資料(甲三の12の3)を示しながら契約を勧めた。原告安藤は、看護婦で夜勤もあり、学習塾経営など考えたこともなかったが、自宅に隣接する弟の家が空家となっていたので、被告が責任をもってやってくれるのなら空家のままにしておくよりはよいかもしれないと思った。湯之上は、その後、何回となく原告安藤宅を訪問し、同様の説明を繰り返したが、原告安藤は、湯之上の話が余りにも調子よく、塾経営にも不安があり、また開設資金三七〇万円は預貯金を下ろしても都合がつかないことから、湯之上に対し、一旦は止める旨伝えた。これに対し湯之上が、三七〇万円が都合できないのであれば、小学生だけのコースで二七〇万円でよいから契約しないかと勧めたため、原告安藤は断り切れず、被告が責任をもって生徒募集をしてくれるのならば大丈夫であろうと考え、平成元年一〇月三〇日、被告との間で、「教導塾塙進学校」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金二七〇万円を銀行から借り入れるなどして支払った。

原告安藤は、最初の開校説明会に二、三名の来場者しかなく、二度目の説明会には一人の来場者もなかったことから、被告東京支社の担当者に苦情の電話を何回も入れたが、被告が生徒募集活動に力を入れた様子は見られなかった。もっとも、原告安藤が、被告から送られてきたチラシを、新聞配達をしている知人に依頼して配布するなどした結果、数名の生徒が集ったため、平成二年四月に開校した。原告安藤は、開校後も生徒が増えずに二、三名の状態が続き、収支は赤字であったが、姪の知合いの子供が入塾していたこともあり、赤字分を自分で負担して継続していた。ところが、原告安藤は、平成四年六月ころに、原告照山の話を聞いて被告に騙されたと思い、以後ロイヤリティーの支払いを停止して閉校するに至った。(甲三の12の3、一〇の4、一六の18、乙四二ないし五一、原告安藤勝子)

(19) 原告佐藤英雄について

原告佐藤英雄(以下「原告佐藤」という。)は、茨城県鹿島郡神栖町において配管溶接業を営むものであるが、平成二年七月末ころ、被告の新聞折込広告を見て、自宅裏庭が約一一〇坪空いていることから、手間が掛からず、六畳程度の教室で高収入が得られるだけでなく、高校教師をしている妻の関係もあって塾を経営することに魅力を感じた。そこで、原告佐藤は、被告に電話を入れたところ、滝沢が、この地域では希望者が多いが、市場調査をしてみるという話であった。滝沢は、約二週間後、「人物調査、市場調査の結果、あなたが選ばれたので、明日伺う。」との電話連絡を入れた後、原告佐藤宅を訪問し、「被告は、社歴一七年の学習塾のパイオニアであり、この地域では初めての進出である。講師は、本社で二週間教育した大学出の優秀な人材であり、人材のストックも多いので突然休まれても穴を空けない。生徒募集は、新聞チラシ、開校説明会、ダイレクトメール、校門前でのビラ配り等により六、七〇名は絶対に集る。被告はロイヤリティーの収益だけで運営されているので、三〇万円以上の収益が見込まれなければ契約は勧めない。経営者は、月謝の集金、生徒の出席簿の管理、講師計算書の提出だけすればよく、そのほかは何もする必要はない。素人は口出ししないほうがよい。」と説明した。原告佐藤は、教室を建築するとなれば、資金の借入れ等の問題があることから、その日は確答をしなかった。数日後、滝沢が再び訪れ、「被告のシステムは絶対に赤字にならない。最低でも二〇名は集る。その場合の収益は、月一〇万四〇〇〇円になり、家のローンを組んでも心配は要らない。万一赤字になった場合には、軌道に乗るまで、被告がローン分支払う。一度東京支社を見てほしい。」などと勧めたため、原告佐藤は、同年八月末ころ、東京支社を訪問し、山田の説明を受けた。原告佐藤は、山田から、滝沢と同内容の説明を受けた上、「新築分も含めて三年で十分もとが取れる。失敗した例はないし、お宅は有望だ。契約は早い方がよい。」などと勧められたため、契約をする気になり、教室開設申込書(甲一〇の5)に署名した。原告佐藤は、山田に対し、契約書を見せてほしい旨依頼したところ、山田はフランチャイズ契約を結ぶといった簡単な内容のものであるといって見せてくれなかったが、それまでの説明ですっかり信用していたため、特に不審に思うこともなかった。原告佐藤は、同年八月三〇日、被告との間で、「教導塾神栖校」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。

原告佐藤は、右契約後、直ちに銀行から六〇〇万円の融資を受け、教室に使用する建物新築工事に取り掛かり、同年一一月三〇日に完成した。原告佐藤は、融資を受ける際、銀行の担当者から、被告の経営者には前科があるので気を付けた方がよいと注意されたが、滝沢を信用していたし、教育を仕事とする会社であるから、まさかそのようなことはないだろうと思っていた。同年一二月一日に開かれた開校説明会には二名の知人しか来場者はなく、結局、同月一〇日、小中学生各二名の生徒で開校した。原告佐藤は、友人等を頼って生徒を集め、一番多いときで一三名にまで増えたが、講師料を支払うと赤字になったため、被告に対し、事前の約束のとおり赤字分の填補を要求したが、誠意のある回答はもらえなかった。また、講師については、大学を出た講師が最初の一人だけで、あとは家庭の主婦や僧侶、OLのアルバイトばかりで、授業中にジュースを飲んだり、無断で欠勤するなど、講師としてまともに教育を受けた者は一人もいなかった。このような状況の中、生徒が次第に減少していったが、原告佐藤は、ローンの支払いもあるため、途中で止めるわけにはいかず、赤字を出しながらも経営していったが、生徒の減少に耐え切れず、平成四年二月に閉校した。原告佐藤は、被告の対応が余りにも事前の話と異なり、誠実さがなかったため、調査したところ、当初、この地区では自分の塾一校だけが選ばれたということであったが、現実には既に二校が開校しており、そのうちの一校は開校できず、残りの一校が約半年で閉校したことが判明した。(甲三の16、五の4、一〇の5、一六の19の1ないし3、原告佐藤英雄)

(20) 原告池田商事株式会社について

原告池田商事株式会社(以下「原告池田商事」という。)は、茨城県鹿島郡神栖町において不動産業を営むものであるが、平成三年六月下旬、被告から電話がかかり、数日後、湯之上の訪問を受けた。原告池田商事の代表取締役池田重男(以下「池田」という。)は、湯之上が被告には学習塾三〇〇〇校の実績があり、経営のノウハウをもっているなどと話したのに対し、「他に建設会社を経営しているので、とても塾経営などをしている暇もないし人手もない。そちらで全部経営をやり、利益だけを振り込んでくれるのか。」などと質問した。湯之上は、東京支社へ連絡を入れた後、「その条件でできる。被告が生徒募集から講師派遣まで全部責任をもって行う。オーナーは何もしなくてよい。素人が手出しをするとかえってまずくなるので、塾経営は一切被告に任せてほしい。最初は少なくても三〇名程度の生徒が集るから、月収は最低でも一〇万円から二〇万円にはなる。講師は、短大卒以上の者を、講習した上で派遣する。」と「時間割と利益分配」と題する書面(甲三の2)を示しながら説明した。池田は、同年七月二九日、湯之上が契約書を持参してきたものの、今までの説明と契約書の内容が食い違っていたため、契約書を書き直すように要求し、これに対して湯之上が契約書は全国一律であるなどとして抵抗し、長時間の押問答になったが、結局湯之上が特約事項を契約報告書(甲一三)に記載したことで納得し、被告との間で、「KYODO大野原学院」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として四七〇万円を小切手で支払った。

原告池田商事は、同年九月、教室用の建物を約五〇〇万円かけて新築し、同年一〇月ころ、開校説明会が二回開かれたが、いずれも一名程度の来場者しかなかったため、被告鹿島事務局に対し、生徒募集活動をもっと積極的に行うように要請した。被告が生徒募集活動を行った形跡もなく、生徒は増加しなかったものの、同年一二月、生徒二名で開校した。しかしながら、講師は事前の話と異なり高卒で講習も受けておらず、事務局も事務員が辞めたりして対応が悪かったことから、平成四年二月ころには生徒は二名とも退塾してしまい、結局閉校せざるを得ない状態になった。(甲三の2、一二、一三、一六の20、乙一九ないし三四の4、証人川口勝利)

(21) 原告伊藤守について

原告伊藤守(以下「原告伊藤」という。)は、茨城県鹿島郡神栖町において松田マサとともに新聞販売店を経営しているものであるが、平成元年八月ころ、新聞折込広告の中に被告の「教室経営者募集」のチラシを見て関心を持ち、被告に電話を入れた。原告伊藤は、数日後、勝見の訪問を受け、「神栖町では初めての開校となる。部屋さえ提供してくれれば後はすべて被告でやるので心配はいらない。ここは小中学校が近く、生徒はすぐ集る。たくさんのスタッフで電話をかけたり、チラシをまいたりして、生徒は被告が責任をもって集める。」などの説明を受けたが、周辺に既に塾が数校開設されていたため、本当に生徒が集められるかどうか尋ねた。勝見はこれに対し、「一クラス一二名の小人数の塾なので、生徒を集めることには問題ない。集まらなかったら、自分が校門の前に立ってでも集める。部屋さえ確保してくれれば、先生も生徒もこちらで集める。逆に、経営者は何もしないでもらいたい。」などと説明した。原告伊藤は、勝見が説明するような月三六万円から四五万円の収入の半分が現実の収入であるとしても、部屋を人に貸すよりはよい収入になると考えたが、契約金が三七〇万円と高額なこともあり、その場では態度を保留した。松田マサは、娘とともに、同月中旬、被告東京支社を訪問し、山田から勝見と同様の説明を受けるとともに、東京支社が大きなビルの広いフロアーを使用し、約二〇名の女性スタッフが電話で生徒募集をしている状況を見て、被告に対して安心感を持った。原告伊藤は、松田の話を聞いて契約することを決意し、同月三〇日、被告との間で、「教導塾平泉校」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。

新聞折込広告が一回入れられ、同年九月三〇日に開校説明会が開かれたが、原告伊藤自身が声をかけていた来場者はあったものの、広告を見て来場した者はいなかった。原告伊藤は、同年一〇月二六日生徒六名で開校したが、原告伊藤の再三の要請にもかかわらず、被告が積極的な生徒募集活動を行った様子は見られず、また、自分のところが神栖町では最初の開校となると説明されていたにもかかわらず、一キロメートルも離れていないところに教導塾が開設されていることを知ったため、被告に対して不審感を強めていった。原告伊藤は、被告に対し、生徒募集をしないことや近隣に被告の塾が開設されていることについて何回も説明を求めたが、何ら誠意のある回答がなされなかったため、平成二年三月をもって閉校した。(甲一六の21、証人松田マサ)

(22) 原告石川茂雄について

原告石川茂雄(以下「原告石川」という。)は、茨城県勝田市(現ひたちなか市)津田においてコンビニエンスストアーを経営しているものであるが、平成三年四月ころ、被告の新聞折込広告を見て、倉庫の二階が空いていることから興味を持ち、被告に電話をかけた。被告の担当者である湯之上は、原告石川宅を訪問し、「被告は、学習塾を全国的に展開している実績のある会社である。水戸市、勝田市、那珂町にはまだ開設していない。生徒募集から講師派遣まで会社が責任をもって行う。経営者は、場所を提供し、月謝を集め、ロイヤリティーや講師料を支払うなどの簡単な事務をするだけでよい。講師は、会社で教育した優秀な人を派遣する。生徒は、人数が集るまで何回でも行う。収益は、最低月二〇万円にはなり、開設資金三七〇万円は、二年以内には確実に回収できる。」などと「時間割と利益分配」と題する書面等の資料(甲三の12の1ないし3)を示して説明した。原告石川は、いままで学習塾を経営したこともなく、開設資金も高額であったことから、その日は態度を保留した。原告石川は、湯之上が再度訪れ、「市場調査の結果、この場所は二つの小学校に近く、必ず成功させる。」などと前回と同様の説明を繰り返したが、生徒が集まるかどうか心配であったため、既に開設している他の教導塾を紹介してくれるように依頼した。原告石川は、湯之上が紹介した岩井市の教導塾の様子を電話で尋ねたところ、まあまあである旨聞かされたため、一応生徒も集まり利益も上がっているものと判断し、平成三年四月二六日、「教導塾勝田津田校」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。

同年五月末ころに開かれた開校説明会には、三名の父兄しか来場者しなかったため、原告石川は不安になり、担当者にどうなっているのかを尋ねたところ、担当者は何度でも説明会を開いて生徒を集めると言ったものの、以後開校説明会が開かれることはなかった。原告石川は、同年六月に生徒四名で開校したが、被告が新たに生徒募集活動を行った様子もなく、生徒はほとんど増えなかったため、収支は赤字続きであった。被告から派遣されてきた講師は、簡単な面接だけで採用された者ばかりで、研修を受けた者はおらず、次々と交替したり、授業の質が悪かったため、原告石川は、このような学習塾を続けていけば、かえって生徒にも迷惑がかかると考え、平成四年三月で閉校した。(甲三の12の1ないし3、一六の22、乙二四七ないし二六三、原告石川茂雄)

(23) 原告金沢順について

原告金沢順(以下「原告金沢」という。)は、茨城県那珂郡那珂町において、タクシー会社を経営するものであるが、平成元年四月ころ、被告から塾開設の勧誘の電話が数回かかり、同年五月中旬ころ、湯之上の訪問を受けた。「菅谷の会社の隣にある建物は、小中学校も近く、塾としての立地条件は最高である。生徒募集など塾経営に関する一切のことは、被告がノウハウに基づいてやるから心配はいらない。講師も会社で講習した優秀な者を派遣する。経営者は、場所を提供してロイヤリティーや講師料を支払うだけでよい。月三〇万円から四〇万円の収入は確実に入る。」などと説明した。原告金沢は、場所もあるし、自分で面倒なことをしなくて収入になるなら塾経営をしてもよいという気持ちに傾いてきたが、他にも塾が開設されているし、それほどの収益が上がるか疑問に思ったため、湯之上に対し、その点を尋ねたところ、湯之上が「塾は多いほど生徒は集まる。菅谷なら七〇名は堅い。」などと説明したため、塾を始めようと考えた。原告金沢は、湯之上の勧めに従って、東京支社を訪問したところ、山田から同様の説明を受けた上で、同年五月一八日、被告との間で、「教導塾菅谷校」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。山田は、その際、原告金沢に対し、契約書を読み聞かせた。

原告金沢は、同年七月開校したが、事前の生徒募集活動が積極的でなかったこともあり、その時点では一一名の生徒しか集らなかった。被告が派遣した講師は、短大生や主婦のアルバイトが多く、次々と入れ替わり、授業内容に対する父兄からの苦情が多かったことから、生徒は次第に減少していった。原告金沢は、被告東京支社に対して善処を要望したが、真剣に取り合ってくれず、このままでは苦情が増えるばかりであると考え、平成三年一一月に閉校した。(甲一六の23、乙二六四ないし二八三、証人金沢せつ子)

(24) 原告吉田八重子について

原告吉田八重子(以下「原告吉田」という。)は、茨城県つくば市に居住するものであるが、夫名義で購入した茨城県稲敷郡阿見町の土地上に建物を建ててその一部を学習塾にしようと考えていたところ、被告の新聞折込広告を見て被告の加盟塾が寺小屋方式で落ちこぼれを作らないこと、開設資金が安価なこと等に関心を持ち、平成元年六月下旬ころ、被告に電話を入れたところ、担当者である滝沢の訪問を受けた。滝沢は、「生徒募集と講師派遣は、すべて被告で責任をもって行うから、経営者は授業料を集めるだけで、手間は一切かからない。生徒は、最低でも二〇人は集める。その場合の収益は、月一〇万四〇〇〇円である。講師は会社で一括して採用し、研修を受けさせた上で派遣するので心配はいらない。」等の説明をした。原告吉田は、塾を開設しようと考えている場所が、自宅から約一二キロメートル離れているので、被告が実際の運営をしてくれれば好都合であると考え、塾開設に乗り気になった。原告吉田は、東京支社で、山田から二教室作った方がよいとの助言を受けたこともあり、生徒は五、六〇人集まるだろうと考え、開設予定地に建物を新築することとし、同年八月一日、被告との間で、「教導塾阿見中央校」を開設する内容の加盟契約を締結した。

原告吉田は、開校予定地に建物を新築する予定であったが、滝沢から早急に開校した方がよいと助言を受けたため、建物の完成を待たずに、新築予定地内にプレハブ建物をリースにより建築した。ところが、同年八月及び九月の開校説明会には、合計五名の来場者しかなく、入塾者は二名にすぎなかった。被告は、塾を開校するに当たり、新聞の折込広告を数回入れたが、被告が配布した広告を見て入塾した生徒は、数人にすぎず、あとは原告吉田が知人等を頼って勧誘せざるを得ない状況であった。原告吉田が塾を開校した時には、結局二名の生徒しか集らず、その後、最高一二名程度まで生徒は増えたが、派遣された講師が無断欠勤するなど、講師の評判が悪いこともあって生徒が減少し、結局、平成二年一一月末、閉校の止むなきに至った。(甲三の13、一六の24、乙二八四ないし三〇〇、原告吉田八重子)

(25) 原告中村隆について

原告中村は、茨城県猿島郡総和町において建設業を営むものであるが、平成元年七月ころ、庄子から塾開設の勧誘を受けた。庄子は、原告中村に対し、「時間割と利益分配」と題する書面等の資料を示して、「生徒や講師は被告で集める。経営者は場所の提供と月謝の集金をしてくれればよい。生徒は最低でも二〇人は集める。その場合の収益は一〇万四〇〇〇円である。この場所ならば生徒を七二人集めることも可能だ。」などの内容で、契約を勧めた。原告中村は、庄子の勧めもあり、同年七月三〇日、被告東京支社を訪れ、山田から説明を受けた。原告中村は、両名の話を聞いて信用し、場所を提供するだけで月一〇万四〇〇〇円の収入になるし、教育的な仕事で地域のためにもなると思い、同年八月一日、被告との間で、「教導塾総和葛生校」を開設する旨の加盟契約を締結し、開設資金として三七〇万円を支払った。原告中村は、その際、庄子から契約書の条項の一部について読み聞かされた。

同年八月末ころに開かれた開校説明会には一人の来場者もなかったため、当初予定していた同年九月一日には開校できなかった。原告中村は、被告が新聞折込広告を一回入れただけで、積極的な生徒募集活動を行わないことに不審を抱いていたが、被告が開校すれば人は集ると言ってきたこともあり、同年九月二六日数名の生徒で開校した。原告中村は、なかなか生徒が集らないので、親戚の子供を入塾させたり、約一五〇万円をかけて生徒送迎用のマイクロバスを購入したりして、自ら生徒募集に奔走しなければならなかった。このようにして集めた生徒も、被告から派遣された講師が研修も受けておらず、授業の質も悪かったために父兄からの苦情も相次ぎ、減少する一方であった。原告中村は、講師料を支払うと赤字であったが、集めた生徒の関係もあり、すぐに止めるわけには行かず、約一年間続けた後に閉校した。(甲三の14、一六の25、乙三〇一ないし三一三、原告中村隆)

2  判断

(一)  右認定のように、被告東京支社企画開発部の担当者は、原告らに対し、ほぼ共通して①生徒募集は、被告がそのノウハウにより責任をもって行う、②講師は、被告が研修をした上で、責任をもって派遣する、③経営者は、場所を提供し、開設資金さえ支払えば、あとは月謝の徴収、ロイヤリティー・講師料の支払等簡単な事務をするだけでよく、その他の運営は被告に任せてほしい、経営者は素人なのでむしろ口出しをしないほうがよい、④最低でも月約一〇万円の収益が上がるなどと、資料を示しながら説明し、繰り返し勧誘行為を行った上で、多くの場合に東京支社の訪問を勧め、山田からも同様の説明をさせて、塾加盟契約を締結させたものである。ところが、契約後は担当が指導部又は各地事務局に移り、実際に被告が行った生徒募集活動は、新聞に一、二度折込広告を入れ、チラシを配布し、開校説明会を開催する程度で、生徒募集活動に力を入れてほしい旨要請されても積極的に対策を講じることもなく、講師のほとんどは、短大卒程度のアルバイトで安易な面接だけで採用され、講師として指導、研修がなされることもなく各塾に派遣されていて、被告が各加盟塾の運営に全力を挙げて取り組んだ形跡はない。被告が同一の地区内に競合して加盟塾の開設契約を締結した場合も、相乗効果が期待できるような状況にあったとはいえない。また、被告においては、各事務局のスタッフも二、三名程度にすぎず、多数の加盟塾の生徒募集活動を積極的に展開できるような態勢ではなく、講師研修についても、実際に派遣された講師のほとんどが面接をしただけで派遣されていることに照らせば、被告において加盟塾の授業に対応できるような研修システムが組織化されていたともいえない。

これらの点を総合すると、被告は、客観的にみて多数の加盟塾を事前の説明どおりに運営していくだけの意思も能力もないのに、その能力があるかのように偽って加盟希望者を錯誤に陥れ、塾加盟契約を締結させたものというべきであり、各勧誘担当者の説明内容がほぼ共通していることを考えれば、このような勧誘行為は、被告において組織的に行われていたものと推認できる。被告の右勧誘行為は、各原告に対し、詐欺による不法行為を構成するものというべきであり、被告には、各原告に生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

(二) この点につき、被告は、本件加盟契約における被告の義務は、生徒募集、講師派遣等を行う内容となっているが、塾経営者としても、加盟契約締結後は、被告との結束のもとに、塾作りの広報活動を行うとともに、相互に協力して教室運営に努力しなければならない義務を負っており、生徒募集、講師派遣等が被告の一方的な義務となるものではないのであり、被告は契約書に記載された義務を履行している旨主張し、本件加盟契約の契約書(甲一各号)には右主張に副う記載があるとともに、証人山田茂樹及び同大槻文彦は、同趣旨の証言をする。

たしかに、本件加盟契約のようなフランチャイズ契約の締結を勧誘する場合、社会通念上相当な範囲で、契約上のメリットを強調して契約を勧めることは許容されているというべきである。しかし、前記認定のような被告担当者の勧誘行為は、契約書の記載内容を強調して勧誘したというよりも、むしろ契約書の記載内容とは異なる内容を示して契約締結を勧めたものというべきである。そして、前記認定のように、原告らの大部分が他に職業を持ち、それぞれ多忙で、塾経営に時間を割くだけの余裕はなく、また自宅と塾開設予定地とが離れている者も多いのであり、経営者自ら塾運営に関する日常的な事務を行うことが困難な状況にあったのであるから、被告がその責任を持って生徒募集、講師派遣等の塾運営を行うとする勧誘内容が、原告らが契約締結を決めるに当たって極めて重要な要素となったものといえる。そうであるとすると、原告らと被告との間では、契約書における相互協力という記載内容とは異なり、生徒募集、講師派遣等塾運営に関しては、原則的に被告が責任を持って行うとする内容の約定が成立したものというべきである。ところが、前記(一)で説示したとおり、被告は、原告らそれぞれに対し、右責任を果たさなかったばかりか、そもそも右責任を果たせるような組織的基盤がなく、責任を遂行する能力自体なかったものといえるのであるから、証人山田茂樹及び同大槻文彦の各証言は信用できず、被告の右主張は採用できない。

3  原告らの損害

原告らが、被告に対し、別表開設資金欄記載の開設資金をそれぞれ支払ったことは当事者間に争いがないところ、右開設資金は、それぞれ被告の違法な勧誘行為に基づいて支払われたものというべきであるから、右各開設資金相当額が原告らに生じた損害であるということができる。

二  過失相殺(争点5)について

前記認定の本件加盟契約が締結されるまでの経緯に照らせば、原告らのほとんどがそれなりの職業を有し、社会的経験も豊富なのであるから、場所を提供し、開設資金さえ支払えば、あとはほとんど何もせずに収益が上げられるという勧誘内容に警戒心を持って然るべきであるにもかかわらず、安易に契約に応じているということができる。しかし、過失相殺の制度が、当事者間の公平を図るため、損害賠償の額を定めるに当たって、被害者の過失を斟酌するものであるところ、本件における被告の行為は、故意による違法な詐欺行為であって、このような場合に、原告らの事情を斟酌して損害額を減額するということは、加害者に対し、違法な手段で取得した利得を許容するものであり、妥当とはいえない。そればかりでなく、原告らは、塾経営の経験がまったくなかったところ、被告の担当者から、繰り返し、被告の責任でもって生徒募集、講師派遣等の塾運営を行う旨の説明を受けたことにより、被告がそれだけの塾経営に関するノウハウを十分に保有し、そのノウハウの提供を受けることができると信じて契約を締結したのであり、原告らに、損害額の算定に当たって斟酌するほどの落度があったとはいえない。

したがって、過失相殺に関する被告の主張は採用できない。

別表

No.

原告

開設資金

弁護士費用

請求額

1

照山均

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

2

河田靖子

八四〇万円

八四万円

九二四万円

3

大久保貞義

四七〇万円

四七万円

五一七万円

4

永井隆

四七〇万円

四七万円

五一七万円

5

吉原美恵

四七〇万円

四七万円

五一七万円

6

榊原仁

三五〇万円

三五万円

三八五万円

7

栗田照子

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

8

鈴木幸子

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

9

山口英男

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

10

高橋千代子

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

11

小池清子

二七〇万円

二七万円

二九七万円

12

古沢清

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

13

尾上武嗣

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

14

荒瀬博史

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

15

染谷富重

四七〇万円

四七万円

五一七万円

16

人見栄子

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

17

箕輪幸一

四七〇万円

四七万円

五一七万円

18

安藤勝子

二七〇万円

二七万円

二九七万円

19

佐藤英雄

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

20

池田商事(株)

四七〇万円

四七万円

五一七万円

21

伊藤守

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

22

石川茂雄

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

23

金沢順

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

24

吉田八重子

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

25

中村隆

三七〇万円

三七万円

四〇七万円

三  弁護士費用について

弁論の全趣旨によれば、原告らは、弁護士に対し、本件訴訟の提起、追行を委任し、相当額の報酬を支払う旨約定したことが認められるところ、本件事案の内容等に照らせば、弁護士に委任して訴訟を提起、追行することはやむを得ないものといえる。被告の不法行為と相当因果関係にある損害としての弁護士費用は、前記認定した原告らの損害額のいずれも一割とするのが相当であるので、別表弁護士費用欄記載の各金額となる。

四  結論

以上のとおり、その余の争点を判断するまでもなく、原告らの請求は、いずれも理由がある。なお、被告の仮執行免脱宣言の申立ては相当でないから付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 來本笑子 裁判官松本光一郎 裁判官坪井昌造)

別紙契約日付順〈省略〉

別紙原告らに対する不法行為〈省略〉

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